新任教師の憂鬱

新任教師の憂鬱な日々を描いていきます。これから教師を目指される方のためになればと思います。

wantsとneedsのすり合わせ

こんにちは、こんばんは。

久しぶりに書きます。もうすでに教員採用試験が始まっているようですね。

教員になるための勉強も必要ですが、メンタルの方もしかりと準備をしておいてください。ご武運をお祈りしています。

さて今日は少しいつもと違った内容を書きたいと思います。

決して自分の中で答えがあるわけではありませんが、メモをするつもりで書きます。

タイトルにある通り、wantsとneedsについて。

皆さんは現代における学校教育の意味はなんだと考えていますか。

教師をしていながら、なかなかその意味を私自身意識できていません。目の前の仕事をこなすことで精一杯です。

ですが、そんな私ですが、生徒にはこうなって欲しいという気持ちもあります。それは自立して欲しいということ。もう少し付け加えるなら社会で生き抜くための力をつけてもらうことです。

社会に出ること=働くことになっている現在では学校で仕事ができる基礎能力を身に付けることが求められていると思います。

それは礼儀であったり、考える力であったり、諦めない力であったり。

それがおそらくneedsなのだと私は理解しています。

 

一方で義務教育だからと無理やり教育を受けさせられていると感じている生徒からするとすべてがありがた迷惑なんです。

俺はそんなことを学ばなくたって、生きていける。

そう思っている生徒がほとんどです。正直私もそう思ってました。

だって社会に出たことないんだもの。

そんな彼らのwantsは楽しいこと、面白いこと。

成長期特有のイライラと不満を速攻で解消してくるエンターテイメントなんです。

教師が教えたいことと生徒が学びたいことが=でつながっていない。

それがそもそも教育というものだと思うのですが、

なにせこのご時世、すべてがビジネスで考えられてしまう。

つまり教育はサービスであると。

だから生徒、もしくは生徒ほ保護者のwantsを満たすために教師は働けという主張が出てくる。

これを=にすることが最優先だと。

でも教師側からするとそれは経験的にだめだと思っている。

そんなことをするとまともな人間にならないとわかっている。

でもそれをしないと立場が危ないから求められるままに与え続けた。

その結果幼稚な親を生み出すことになってしまった。

あとはもう想像にお任せします。

 

でもある一握りの教師はそこで立ち上がる。そうじゃないでしょと。

生徒と親も含めて彼らのwantsをneedsに少しずつ近ずけていく。

そしてそれが=になった時に一気に畳み掛ける。少しそれが厳しくても親も目を瞑る。

 

今の所私が考える教育界における駆け引きは上記の通り。

wantsをneedsにすり合わせるのはコストがかかりすぎる、と私は考えてしまう。

やっぱりビジネスライクな考え方をしてしまう。

 

あんまりまとまっていないけど、そんなことを考えた今日この頃。

一応教育について私は考えています。